28歳長男が両親、姉を

 ヒロシのネタで「引きこもりになるほどお金がありません」というのがあったけど、何年か前までは今ほど引きこもりや不登校が少なかった理由に「そうなる事は『社会的に死ぬ』ことだったから」という意見をどこかで読んだ。
 確かに今では「傷」ではあるが「死ぬ」ということはない。ただ、社会的に死ぬ代わりに肉体的に死んでしまったり、犯罪を起こして別の意味で社会的に葬られる事例を見ると、生き方への制限の多かったちょっと昔を懐かしむ気持ちも出てくるなあ。
 まあ、現実的には後戻りはできない。我々は「多様な生き方」というきわめて刺激の強い果実の味を知ってしまったのだから。